風の時代の生き方、そしてアメリカ文学とイギリス文学

急な演奏中止の連絡で、

昨日は少し気落ちはしたけれど。

昨日も書いたけど、

これは何かのタイミングかなと思ってる。

今見つめるべきことがあるのかなと。

 

今週は症状も多く出てたし、

自分の健康的にも良かったのかも。

 

あと、、

演奏のあり方とかも考えるきっかけになった。

前もって予定を決める。

人を集める。

そんなやり方が時代のムードと

少し合わなくなってるのかなと思う。

 

風の時代。

かつてのスタイルからは離れて、

パーソナルに自由に動く。

多くの人の中での不自由よりも、

それぞれが自分の快適さの中で生きていく。

そんな時代と感じてる。

 

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モーリスがとても面白い。

まだ四分の一くらいだけど、

ここまででもアメリカ文学との違いが

明確に伝わる。

 

心情、心の動き、精神。

それらをとても丁寧に描写し、

ストーリーの展開になっているモーリス。

 

これだけでイギリス文学と言い切るのは

乱暴だけれど、

自分としてはとてもトラッド、

伝統的なものに感じた。

 

一方、アメリカ文学

心情をほとんど表現せずに、

情景を細かく描写して

そこから言葉の外に心を浮かび上がらせる。

 

とても映像的かつ詩的な世界。

そして余白の多い表現。

アメリカ文学のそんな風に感じる部分に

自分は惹かれてると再認識したかな。

 

ただ、

今までほとんどふれてきていない分、

このモーリスの感じはとても新鮮で

心の奥の方を刺激され、

興味深く読み進めてる。

 

いろいろな形の文学、表現。

ふれて心が動き、また深まる。

文学の醍醐味を感じられてて

とても幸せだ。

 

フォースター、

まだまだ楽しんでいこう。