昨日、路上の新訳を読了して、
次はスクロール版に。
これを読むは今回でまだ二回目。
いわゆる草稿版。
研究や分析したりするタイプではない自分は、
一つの作品でここまで何種類も読んだのは
ケルアックのこれしかない。
十代の頃は
ただ雰囲気が好きと言うだけだった気もするし、
好きなアーティストが好きと言うのを聞いて
憧れから手に取った部分も大きかった。
でも、、
今は心から好きであり、
同じ宇宙を感じてる、魂が共鳴してると
勝手に自負してる。
全作品を読破したい、、
と言う気持ちはないけど。
路上、オンザロードは
常に心に補給しておきたいと思う。
魂のガソリンであり。
人生のバイブルであり。
ケルアックの詩集と路上は
ずっと手元に置いておきたい。
孤独な旅人も読んでるし、
もう一冊の地下街の人びとも再読予定。
書いてる途中で気がついたけど、
路上の
旧訳、新訳、スクロール版の三つを
続けて読むのは初めてだった。
ケルアック、
ビートジェネレーション。
旅は終わらず。
旅は人生。
生きてる限り続いていく。
深く泳いでいく。
久しぶりのご褒美ランチ。
やはりトーストは大好物。
美味しかったな。
土曜日、雨の朝。
ケルアックをずっと読んでたら、
その中に宮沢賢治も感じて手に取った。
ケルアックは
カウンターカルチャーと言うより、
宮沢賢治的にただただふれて感じるもの。
そんなことも思った朝だった。
ビートジェネレーションが
内包してた価値観や感覚が、
その後の時代の動きを呼び起こした。
共鳴した。
それも事実ではあるだろうけど。
少なくともケルアックは
もっとナイーブでパーソナルな表現者であり、
そこが自分はとても惹かれてて。
晩年、
ビートジェネレーションとは
距離を取ってたケルアック。
天使でもヒーローでもなく、
ビートの中の孤独な旅人だった。
今はそう思う。
さらに深く。
泳いでいきたい。